料理の本をどうしようか、最近考えている。きれいな本ばかりだけれど、場所を取る。それに、ほとんど使っていない。最初に料理を教えてくれたのは母だった。母はとても料理が上手で、タイミングも完璧だった。でも、料理が特に好きだったわけではない。毎日の家事の一つだった。子供の頃、私は母の料理をよく手伝った。材料を準備したり、洗ったり、切ったりした。つまり、母のスーシェフだった。母は何も量らなかった。全部、感覚で作っていた。前に、「レシピは、誰かがある時に作った料理のスナップ写真のようなものだ」と聞いたことがある。レシピは動かないものだし、料理を学ぶためのいい参考にもなる。でも、その一回を何度も同じように再現することが目的ではない。その料理の基本的な考え方を覚えて、そこから自由に作り、自分の料理にしていく。そう考えると、私の料理の本は、きれいな写真アルバムのようなものなのかもしれない。ただし、そこにあるのは私の生活ではなく、誰かほかの人の生活だ。あの本を買った頃、私は今よりずっと夢を持っていた。自分のキッチンがどんな場所になるのか、いろいろ想像していた。手の込んだ料理。細かいところまで丁寧に作る料理。少し贅沢な料理。今の私のキッチンは、そんな場所ではない。実は、そんなキッチンは今の私の生活にはもうあまり合わない。
最近我一直在想,這些食譜書到底該怎麼辦。每一本都很漂亮,可是很佔空間,而且我幾乎都不用。最早教我做菜的人是媽媽。她很會做菜,時間也總是抓得剛剛好。可是她其實並不特別喜歡做菜。對她來說,做飯只是每天要做的家事之一。小時候,我常常在廚房幫媽媽的忙。準備材料、洗菜、切菜,基本上就是她的副手。媽媽從來不量東西,全都是憑感覺。我以前聽過一種說法:食譜就像是某個人某一次做一道菜時留下的一張快照。食譜記下來的,只是那一次的做法。當然,它可以是很好的參考,但目的並不是把那一次的做法一模一樣地重複一遍又一遍。而是掌握一道菜的基本做法和精神,再自由發揮,慢慢把它變成自己的東西。這樣想來,我的這些食譜書其實就像一本本漂亮的相簿。只不過裡面記錄的不是我的生活,而是別人的生活。買這些書的時候,我對自己的生活還有很多想像。我常常想像,有一天我的廚房會變成什麼樣子。講究的菜色。每個細節都一絲不苟。還帶著一點奢華。現在我的廚房完全不是那個樣子。其實,那樣的廚房也已經不太適合我現在的生活了。
