最近、何を言っても、まず否定する人について考えている。何か新しいことを提案すると、よく考える前に「それは無理」と言う。そういう人は、いいところを見るより、悪いところや問題をすぐに見つける。「『ジェーン・エア』が好き」と言うと、すぐに「いや、ブロンテよりオースティンのほうが小説を書くのが上手だ」と言う。でも、どうしていつも二人を比べる必要があるのだろう。二人とも素晴らしい作家ではだめなのだろうか。ただ自分の好みを話しているだけなのに、いつの間にか、誰が正しいかという話になってしまう。こういう否定には、少し力関係もあるような気がする。相手を否定すると、自分のほうがよく知っているように見える。誰かが悩みを話していて、何か提案しても、最後まで聞かずに「それは無理」と言うこともある。すぐに否定するのは、ただ意見を言っているのではなく、自分の立場を守る方法なのかもしれない。実は、私も人生のほとんどをそういう人として生きてきた。何でも反対したくなる、あまのじゃくなところがあって、それが私のいつもの反応だった。人に「めんどくさい人」と思われても、仕方がない。
最近我一直在想,有些人不管你說什麼,第一個反應就是否定。你提出一個新的想法,他們還沒仔細想,就先說:「那不可能。」這種人常常很快就看到一件事的缺點和問題,卻不太容易先看到它的好處。你說:「我喜歡《簡愛》。」他們馬上就說:「不,奧斯汀的小說寫得比勃朗特好。」可是為什麼她們總是要被拿來比較?為什麼她們不能都是很出色的作家?明明只是在說自己喜歡什麼,最後卻莫名其妙變成了誰對誰錯。我覺得這種否定,有時候也跟權力關係有關。否定別人,可以讓自己站在「我比較懂」的位置。別人在說自己的煩惱時,你提出一個建議,他們有時候還沒聽完就說:「那沒用。」也許這種馬上否定的習慣,不只是表達意見,而是一種保護自己位置的方式。我大半輩子其實也是這種人。唱反調幾乎是我的本能反應。難怪大家都覺得我很難搞。
